大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(ラ)60号 決定

抗告人 田村俊助

右法定代理人親権者父 大川重一

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一  本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を千葉家庭裁判所市川出張所に差し戻す。」との裁判を求める、というにあり、その理由は別紙のとおりである。

二  よつて検討するに、認知された非嫡出子の氏を父の氏に変更することの許否を判断するにあたつては、当該子の福祉、利益を考慮すべきことはいうまでもないが、他方、氏ないし戸籍に関する一般の意識、国民感情に照らし、許可がなされることにより戸籍を同じくするに至る父の妻、嫡出子らの利害、意見等も無視することはできず、これを斟酌すべきものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、抗告人は、父大川重一と氏を異にするため、同人、抗告人の母田村恵子及び姉美子との共同生活において不便であること、とりわけ保育園入園に伴う不都合及び姉美子が既に父重一の氏への変更を許可されてこれを称していることから生ずる混乱を本件申立ての理由とするのであるが、本件記録及び千葉家庭裁判所昭和五二年(家)第六九号、昭和五三年(家イ)第三九号、昭和五七年(家)第六六六号各事件記録によれば、原審判がその理由第1項に認定する事実関係のほか、重一は、昭和五〇年ころ恵子と情交関係を結んで同棲するに至り、同女との間に美子(昭和五一年七月二四日生)及び抗告人(昭和五七年二月一二日生)をもうけ、現在これら三名と共同生活をしていること、重一は、昭和五一年一月妻である大川登代を相手方として津家庭裁判所上野支部に離婚調停を申し立てたが、同年三月不成立に終わつたこと、一方、そのころ登代は、千葉家庭裁判所に夫婦同居の申立てをし、後に婚姻費用の分担申立てに申立ての趣旨を変更し、審判、抗告を経た上、昭和五三年三月三〇日重一は婚姻費用の分担として月額金一三万円を毎月支払うことなどを内容とする調停が成立したこと、しかし、重一はその後右調停で定められた義務の履行を遅滞しがちであつたため、登代から昭和五八年五月までの間数回にわたり家庭裁判所に履行勧告の申出がなされ、右勧告が繰り返されてきており、重一と登代との間の葛藤は現在もなお根深く激しいものがあることが認められる。以上の事実関係によれば、重一と抗告人ら前記三名の共同生活は法の期待に反する不安定なものというほかなく、加えて、抗告人が保育園等における日常生活において事実上重一の氏を称することに格別の支障があることを認めさせるような資料もないのであり、このような状況のもとにおいては、姉美子が既に氏の変更を許可されているという事情を考慮しても、満二歳を過ぎたばかりの抗告人の氏を重一の氏に変更することが抗告人の福祉、利益のために現在差し迫つて必要であるとまではにわかに認めがたいところである。他方、前記事実関係からすれば、重一は、調停で定められた婚姻費用分担義務の履行すらも最近まで遅滞することが多かつたのであり、長年にわたり妻子に心労を与え、これをかえりみることがなかつたものといわざるをえず、登代としては、このような過去の経緯等も加わつて本件氏の変更に反対しているのであつて、その反対には無理からぬものがあり、これを無視することもできない。

以上の諸事情を総合考慮すれば、抗告人の氏を重一の氏に変更することを許可するのは、いまだ相当でないものというべきであり、右と見解を異にする抗告理由はいずれも採用することができない。

三  よつて、本件申立てを却下した原審判は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 鈴木潔 裁判官 鹿山春男 河本誠之)

抗告の理由

一 原審判の申立の趣旨は、抗告人は父大川重一と母田村恵子との間に出生した非嫡子であり、父大川重一が認知をした子であるが、父大川重一には戸籍上の妻子が居るものの既に八年以上別居して生活実態はなく、これに代つて父大川重一と母田村恵子とはほぼ同様の期間内縁関係にあつて父大川重一を世帯主として生活を維持しており、両名間には抗告人のほかに抗告人の姉美子(昭和五一年七月二四日生)が既に出生しており、同女は戸籍上も大川姓を名乗つて生活している。既ち、社会生活上は、大川姓を以て周囲から認識されており、今後抗告人が通園通学するに際しても父や姉美子と同様大川姓によつて社会関係を形成していくのが至当と思われるので母の氏田村から父の氏大川に変更を求めたものである。

二 これに対し、原審審判は、非嫡の子が父の氏を称することができるかどうかは、それによつて「子の受ける利益」と「本妻側の蒙る感情ないし社会生活上の不利益」を比較衡量して決すべきものという前提に立ち、しかしながら実際は本妻が過去における大川重一との感情的軋轢(主として本妻側の提起した同居請求に大川が応じなかつたこと及び定められた婚姻費用の支払を一時期大川が遅滞した事実があること)から子の氏の変更に難色を示していることの一事を理由として申立を却下した。

三 しかし上記審判は次の点において不当である。

理由一 まず第一に非嫡の子の氏を定めるとき子の利益と本妻の利益とを比較衡量して決すべきだとする前提自体に疑問がある。

そもそも嫡出子であろうが非嫡出子であろうがそれは子ども自身の有責事由に基くものではない。そうである以上本来嫡出・非嫡で差別することは最少限にとどめなければならないものである。現に法定相続分等において差別のあるところであるが財産関係における若干の差別はまだしも(本来これさえも許されるべきものではない)身分関係においてまでその差別を助長するが如き事象があつてはならない。

なぜなら財産関係においては当事者間でそれに対応する方策はいかようにも講じられるものであるが、身分関係にあつては殆ど強行法規の拘束するところであつて有効かつ合法的で選択可能な対応策が当事者に与えられていないからである。従つていやしくも裁判所が関与する手続上その差別を助長するが如き姿勢があつてはならず、その差別を修正減縮させる方向での姿勢に撤するべきである。

それ故に元来子の氏変更の許否を親の利益と比較衡量して定めるというのは適切ではない。まず氏の変更によつて子ども自身の受ける利益とその変更を許否した場合に子ども自身の受ける不利益とを撤底的に精査すべきである。比較衡量とは、その際用いるべき概念であろう。その上で子の実父母の受けるべき利益、あるいは本妻(戸籍上の妻を本妻と呼ぶは社会通念に従つた呼び方であろうが公文書の中でこの用語を用いるのはいかがなものかと思う。しかし、ここでは原審の用字用語に従い一応本妻と呼ぶ)の受けるべき不利益を比較衡量し、せいぜいこれを子のうけるべき利益に対する調整要素として附加する程度にとどめるべきである。

これは結果的には正式な婚姻関係にある者に対する保護を薄くし婚姻外の関係にある者に対する保護を厚くする観があるが、誕生という事実に何ら有責性のない非嫡出子を子の立場に立つて保護していく為にはやむをえないことである。仮にもせよ親が蒙るべき有責性を子に反映させてはならないのである。

然るに原審は氏の変更によつて子の受けるべき利益、あるいは変更しないことによつて子の受けるべき不利益についてどれだけ思いを至し、精査したであろうか。原審の審判理由をみるにこれに思いを至した形跡は全くない。ただ単に抗告人(申立人)は無心の幼児であるから、申立は親の側の共同生活上の便宜に基く希望だと決めつけ、一方戸籍上の妻の側の受ける不利益については婚費の支払が過去において不確実であつたことそれ故に同人が「これ以上苦しめられたくない」と述べていること等を援用してこれを子の氏変更の許否を決すべき基準にしている。

しかしこれは誠に奇妙な論理である。なぜなら

〈1〉 婚費の支払は父大川重一の責任である。その父の誠実性が子の氏変更の許否審判の一要素とされること自体不可解であると共に

〈2〉 本来婚費の支払確保については履行勧告、履行命令、強制執行の認められているところであり、それらの方法を以て充分目的を達成しうる事柄でもあり

〈3〉 また大川重一が当初婚費の金額について不服がありしかもそれが結果的に過重であつたことは審判、抗告、再度の調停という経過を辿つたことからみてほぼ明らかなところであり、従つてこれを以つて一方的に大川重一側の本妻側に対する不誠実の証拠とは決めつけ難く

〈4〉 しかし現在は所定の金額を所定の方法によつて支払つているところであり

〈5〉 仮に抗告人の氏を大川に変更したところで本妻側に対する婚費の支払にいかなる支障を来すというのか、将来本妻側に影響を及ぼすべき具体的根拠は全く示されていない。むしろ影響はありえないというべきである。

〈6〉 尚、当初婚費の支払に関して大川が不誠実であつた背影には、本妻が子供二人を無理矢理田村恵子の許に押しつけて実家にひきあげてしまつたこと(克己と寛敏は田村恵子をケイコママと呼んで慕つていた)、またそうしておきながら田村恵子の許からあたかも誘拐するが如き方法(たまたま子供が一人で居るところを無断で連れ去つてしまつた)で再び連れ帰つてしまつたことなど己れの感情の赴くままに子供を道具に使つて田村恵子に嫌がらせをする等の状況にあつたので大川においても勢い感情的にならざるを得なかつたとの事情があるにも拘らず、原審はそうした本妻側の無思慮な行動には何ら考慮を払うこともなく

〈7〉 一方的に本妻が「これ以上苦しめられたくない」という心情でいるとの事由を重視している如くであるが、もしそのような心情を抱くことが子の氏変更の許否を左右するのだとするならばかかる場合に子の氏変更の余地を設ける制度自体ナンセンスである。なぜなら非嫡の子の氏を父の氏に変更することは多かれ少なかれ本妻にとつて不愉快な事象であり本妻を「これ以上苦しめること」に外ならないからである。

以上、要するに原審は本妻側で受けるべき不利益(しかも具体的な不利益ではなく抽象的な感情問題)のみを重親し、抗告人側の事情を考慮せずまたそれ故に本来最優先的に思いを致すべき子の利益を無視して審判をなしたものに外ならない。

よつてその審理は不充分であり審判は不当である。

理由二 抗告人は姉美子と同様父大川重一、母田村恵子との間に出生した子供である。然して姉美子は大川姓を称することが許可されこれを名乗つている。

もし抗告人ひとりが大川姓を称することが許されないとするならば同じ家庭内の同じ姉弟間において片や大川、片や田村という実に奇妙な関係が出現する。社会生活上も奇異の念を拭いえない。

このことは原審の審判官が昭和五七年(家)第六六六号事件において述べるところの「同一戸籍にあるということは心理的社会的に密接な集団として意識される」という以上に具体的現実的に同一集団として生活し機能している集団が逆に一片の審判によつて分断されてしまうというパラドックスを生じる。

抗告人は現在ようやく二才にならんとする者であるが子供とはいえ遠からず子供なりに社会生活を開始し、保育園、幼稚園、学校、病院、友人関係など社会的関係が拡がつていくであろうことは目にみえている。その時姉弟で氏を異にするということは対第三者に対しても、抗告人本人にとつても無用の混乱を来すべきこと当然のなりゆきとなるであろう。

ごく近い将来におけるこのような混乱を無視し、現在抗告人が「無心の幼児」であるからと姉弟別氏の現状を肯とする原審審判はかかる不条理、かかる不利益を観過するものに外ならない。

よつていずれにせよ原審判は取り消されるべきものである。

その上で抗告人の受ける利益、不利益を中心に精査し審判をし直すべきであると思料する。

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